2003.8.28




しぐれ





「あ゙〜、だっり〜…」
七月まではだらだらと明けなかった梅雨のせいで例年に比べ涼しくて、かなり過ごしやすかったというのに。
さすがにそれが長続きはしてくれず、八月に入った途端、うねるような暑さがやってきた。
まあ、冷害が起こるのも困るし、海水浴やプールに行けないのも嫌なのでこれでいいのだが…。
溜まってたとはいえ限度があるだろうと夏に突っ込みたくなるような気温なのである。
せっかく、任務も修行もないこの大切な休日を、ゆっくり布団の中でまどろみたいというささやかな楽しみさえも、じりじりと照りつける太陽が許してはくれないようだ。

かといって、起きて活動するのもうっとおしい。
とりあえず、寝よう。
寝てしまえば、暑さなんて…。

丸出しの腹を覆っていたタオルケットを頭からかぶり、照りつける紫外線を追い払う。
よし、俺は寝るぞ!
そう、気合を入れて目を瞑ったところで…。


「やっだ〜!!!久しぶりじゃないのっ!元気だった〜?!もう急にこんな暑くなっちゃってねえ…。体調崩しちゃうわよまったく…」


突如一階から聞こえてきた母親の、もはや騒音と言っていいくらいのけたたましい話し声に、驚いて目を開けてしまいそうになる。
「うっせーなあ。なんでああババァってのは声がでかいんだか」
自分のことはすぐうるさい!と殴ってくるくせに。
「キバー!!!いつまで寝てんのよっ!降りてきなさい!!!」
ヒステリックな叫び声に、全身の皮膚がビリビリした。
勘弁してくれと再度タオルケットを頭からかぶるが、ちょうど鳩尾のあたりにどかっと重量のある衝撃が走る。
「黒丸…。重てーよ」
めんどくさそうに顔を出せば、もさもさの真っ黒い、片耳の無い大型犬に鼻先を舐められて。
『早く降りて来いクソガキ。お前のコレが来てんぜ』
犬の癖に、小指を立てるような仕草をして、からかうように笑っている。
「コレって誰だよ…」

その時。
「キバー!お前ほんとに寝てんのかよ!」


聞き間違えるはずも無い、その声に。
慌ててがばっと起き上がれば。
『だっせえガキ!!!』
心底楽しそうに、黒丸は爆笑している。
わかっているのいないのか、背中にちょこんと乗せられた赤丸までも楽しそうにキャッキャと笑っているのだ。

「うっせーなあお前ら!俺は着替えんだから出てけよ!」
『はいはい。そういつまでもちんたらしてると俺が先にアイツ食っちまうぞ』
「〜〜〜〜〜っ!!!」
投げつけられた枕はひょいと交わし、黒丸は階段を駆け下りていく。
「ったく!エロジジィかアイツは!」
荒々しい鼻息を一発フンと鳴らして、すっかり活動的になっている自分にはたと気がついて。
苦笑を洩らすしかないキバであった。





「遅い!お客様待たせてんじゃないよ!」
クソガキが!と飼い犬である黒丸とまったく同じ言い草で、首根っこを掴まれお客様の前に引きずり出される。
「いってーな!クソババア!」
途端、腹部に膝蹴りの衝撃を受けた。
「ぐ…っ!」
「サスケちゃん〜vお昼まだでしょ?冷麦茹でてあげるから食べていきなさいよ」
「え、でも…」
「ほら、トマトたくさん入れてあげるわよ!」
みずみずしくツヤツヤの、笊に入った赤いものを見せられた瞬間に、黒曜石のような瞳の輝きが増して、一言。
「いただきます」
「はい、いい子v」

上機嫌で鼻歌を歌いながら、キッチンに向かう母親に(恐ろしいため心の中で)舌打ちしつつ、サスケの向かいにどかっと腰かけた。
「で、どういう風の吹き回しだよ」
「?」
「俺がお前ん家行くことはあっても滅多にウチには来ねえだろ」
『俺が連れてきたんだよ』
「へっ?!」
『こいつがアカデミーの近くのドブ川なんざぼーっと入りたそうに見つめてたからよお、拉致ってきたんだよ』
しっかり会話は聞いている母親が、よくヤったわ黒丸!などと親指を立てている様がまたムカつく。
『隠れ川にでも連れてってやれよ。なあ、お前行きてえんだろ?』
こっちには顎であしらっておいて、サスケには甘えるように膝の上に顔を乗せちゃったりなんかしているのだ。
むろん、犬の言葉を理解できないサスケは不思議そうにキバと黒丸を交互に見比べていたが、案外犬好きの性格のようで、楽しそうにごわつく黒毛を撫でている。
『俺も!』
ぴょん、と胸元に飛び乗った赤丸も同様に、顔面をもみくちゃにされていた。



「なあ、お前どうせ暇なんだろ?川にでも泳ぎに行くか」
犬どもにはわかったよ!と鋭い一瞥を送りつつ。
「川か…いいな、それ」
「じゃ、決まりな!さっさと食って行くぜ」
黒丸の受け売りだが、何だが楽しくなってきた。
サスケと川遊びなんて、久しぶりに二人きりの時間を過ごせるということなのである。
デートだ、デート♪
頭上に飛んだ無数の♪を見られたのか、黒いのにいやらしい笑みを浮かべられた。
犬歯しまえよ。
ホントお前ってエロオヤジだよな。
こっちも無言で、そう訴えかければ、ヘッと鼻で笑われて。

「ほら、できたよ。いっぱい食ってきな!」
良いタイミングでバン!と手加減を知らない馬鹿力で背中を叩かれ、思わずむせてしまう。
「いってえな!何す…」
自分とサスケとの間に置かれた、涼しげなガラスの器に収められた冷麦。
の白が見えないくらいに上に盛られたトマトの量が尋常ではない。
「何だコレ?!入れすぎじゃねえ!?だいたい冷麦ってさくらんぼとか…」

「「文句あんのか?」」



「…いえ。何でもございません」
そんな二人して凄まなくても食いますよ…、と言いたげなキバの表情は可哀相に引きつっている。
「よし。サスケちゃんもいっぱい食べてきなさいね」
「いただきます」
なのに、冷麦を掴もうと器に伸ばされた腕を母親ががしっとわし掴んでいた。
「相変わらず細くて色白いのねえ…」
「おい、母ちゃん!」
目を丸くして驚いているサスケはかなり可愛いが、このババア、何言い出すかわかったもんじゃない、と嫌な予感を感じた途端。

「顔もどんどん可愛くなっちゃって…。キバのお嫁さんにきてくれたらおばさん嬉しいわあ」
「ゲホッ!!!あ、阿呆かこのババア!!!!!」
口内に詰まっていた冷麦を全て外に撒き散らし、案の定な発言に食べかす付きという厳しい突っ込みを入れる。
「汚ったないわねアンタ!」
「サスケは男だって言ってんだろ!」
いいじゃないアンタだってサスケちゃんのこと好きなんだから!と、懲りずにまだ言う母親をダイニング外に追い出して。


さっさと食って、さっさと出て行こうと心に決める。
「悪いな、さっきの…」
それはそうと、こっちはそこそこ赤くなってるというのに、サスケと言えばほぼ無反応だ。
ちょっと、悲しい。
「ああ、気にすんな。慣れてる」
「そう…」
確かに、カカシとナルトが日常会話ばりに結婚しようだなんだのと求愛行動を取っているのは知っている。
だから、いつものようにサラっと、流したということか。
だが、そんなにアッサリ流されてしまうのも、どうかと思う…。
「お前、そんな性格だからあいつらにしつこく追いまわされんだよ」
「は?」
それすらも気づいていないのね…。
溜息は気づかれないよう押し殺して、冷麦を喉元に掻き込んだ。










「いいか、しっかりつかまってろよ!」
「わかってる!」
スピード違反なんてなんのその、ものすごい速さでビュンビュン風を切っていく。
アカデミーの頃、チャリにも乗れないこの坊ちゃんをケツに乗せて走ったところ、がくんとスピードを上げたところで転げ落ち、逆ギレされしばらく口を利いてもらえなかったことを思い出した。
そんなことを言うとまた機嫌を損ねてしまうから、一人こっそりほくそ笑む。

「で、どこの川行くんだー?」
「里はずれの裏山まで行くぜー!」
「キャン!」
うらやましいことに俺のことをすり抜けサスケの胸元に潜り込んでいった赤丸も楽しそうにヒゲを風に靡かせていた。





……無事、着いたは着いたが、さすがにキツイ。
「だーっ!もう死にそう…」
ゼェゼェと気管で呼吸しながら、川原に横たわる。
足が棒、どころか太もも以下が肉体についているのかどうかすらも痺れてはっきりしない状態なのだ。
「じゃ、先行ってるぞ」
「…おい」
血も涙もない奴だな…、と悪態を吐けば、目を細めてまさに子悪魔ばりな微笑を浮かべられ、そのままバサッと上着を脱いでいる。
赤丸も、横たわる飼い主様を放ったらかしにバシャバシャ水飛沫を上げながら。
『キバ!早く!!!』
「冷たくて気持ちいいな、赤丸!」
チラリとこちらに視線だけ送って、二人(匹)して見せつけるように遊んでいる。
「わーかったよ!今行くって!」
気を抜けばがくりと崩れ落ちてしまいそうな膝を軽く叱責し、自らも上着を脱ぎ捨てた。



「オラお前ら!誰がここまでつれてきてやったと思ってんだよ!」
冷たく、透きとおった水を両手にいっぱい掬い取り、サスケめがけてぶちまける。
「うわ!」
ついでに、赤丸も川底に沈めて。
「てめえ!」
「もっとこっちこいよ、サスケ」
ぐい、と手首を掴み、少し深いところに引き込む。
「おい!キバ…」
「大丈夫だって。この辺ちょっと苔生しててすべるけど」
「ふーん」
近くに滝壷があるから、流れはやや急だが、それだからこそ水が綺麗なのだというもの。
「な、水もキレーだし、最高だろ?」
「そうだな」
ふ、と自然に浮かべられた微笑に、水面のキラキラ輝きが相乗効果となり…。
ガラにもなく、クラっとしてしまった。
あわてて踏ん張ったものの、情けないことにぬるぬるの苔に足を取られ、バシャーン!と派手な音を立てて視界が水中へと切り変わる。

(自分で偉っそうに注意しといて、情けねー…)

むしろ、このまま流されてしまいたい。
と、一瞬本気で思っていたのだが。


「キバ!しっかりしろ!」
ぶくぶくと泡だけで、なかなか上がってこない男に異変を感じたのか、サスケも潜水してキバの漂う身体を抱きかかえて。
そのまま勢い良く水を切って、二人同時に水面へ顔を出した。
「おい!」
「っ?!!!」
肩を揺さぶられたかと思ったら、突如唇に何かが押し当てられる感覚。
この、やわらかさからいって、まさか…。
ある意味恐る恐る目を開ければ、有り得ないけれど目の前にはサスケの顔がある。
「〜〜〜ってお前!何やってんだよ?!」
「あ、気がついたか」
心臓も壊れそうなくらいフル可動で、顔は火が飛び出そうなほど熱くなっていた。
「気がついたか、ってなあ…。今の…」
「人工呼吸に決まってんだろ」
「はい?」
案外効くもんだな、なんて素で言ってるところからして本気なのだろう。
こんな人工呼吸、あるわけがない。

「あのな、人工呼吸ってのは陸に上げてから寝かせてやるモンだろ」
「?俺はこう習ったけど」
誰に、とか。
実践で習ったんだろう、とか考えるとムカついてくるからやめておく。
「ま、いいや…」
思わず、心臓が四方に飛び散りそうになったからサスケを引き離してしまったが、落ち着いて考えるとかなり惜しいことをしたんじゃないだろうか。
やはり、ここは一つ仕切りなおしておくべきである。



「今の“人工呼吸”、もっかいやってくんねー?」
俺また溺れるからさあ、と細っこい腰を抱き寄せ軽口を叩いた時点では。
「〜〜〜このエロ犬っ!!!!!」
まさか、滝壷まで吹っ飛ばされるなんて予想だにしていなかった。










END




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